ep.0 sidestories



ep.0 side−A:渇望する物。得られぬもの。


 幼い頃から、私の家の近くに大きなお屋敷があった。
 私の父さんはそのお屋敷の中で一番偉い人を毎日車に乗せる仕事をしている。
 朝早くから夜遅くまでずっと車を運転するのって大変じゃない? と訊いてみたら、
「旦那様が用事を済ませている時は暇だからね。大丈夫だよ」
 と朗らかに笑って答えてくれた。
 そんな父の笑顔に憧れて、私も十八の時に車の運転を覚えた。

 お屋敷に呼ばれたのは二十歳になった頃だった。
 父さんが私の事を屋敷の仲間に話していたらしい。
 その噂を聞きつけた旦那様が、自分の息子の為に専属の運転手を雇いたい、といってくれたのがきっかけになったようだった。
「キミが秋野さん?」
「は、はひっ」
 緊張の為に思わず声が上ずる。
「あはは……緊張しないでください。春日健斗の息子、亮司です。……すいませんね、父が無理を言ったようで」
 青い髪を肩口まで伸ばしている少年は、慣れたように社交的に振舞っていた。
 聞いた話では十五歳程なのだという。
 それにしてはしっかりしている。というのが、周りからの定評だったが、私は彼に底冷えするものを感じていた。
 口元とその声質には一点の曇りなく暖かな雰囲気が流れている。
 しかし彼のアイスグリーンの瞳は一切笑っていない。
 その奥にある何かドロドロとした感情さえも、私を締め付けてくるようで息苦しかった。
「あの……失礼ですが資料には男性、と、書いてあるような?」
 そこで私は急に現実に呼び戻された。そうだった。今は面接を行っているんだった。
「はい。なんなら証拠でもお見せしましょうか?」
 苦笑しながらそう言うと、亮司も苦笑を返し、
「流石にそれは結構。あまりにも美しかったもので、つい邪推してしまいました。失礼」
 名のある一族の人間だというのに、何の躊躇いも無く頭を下げる彼にふと警戒を解きかけている自分が居ることに驚かされた。
 この男は、そう言う人間なのだろう。
「うん、よし。悪い人でもないみたいだし。何より秋野おじさんの息子さんですし、明日からよろしくお願いしますね」
 ここまで来てやんわりとした営業用の笑顔から、本当に心からの笑みに変わったのだと、私には何故か分かってしまった。



 亮司の専属運転手になってから二年。
 彼は十七歳となり、旦那様から仕事の一端を担わせてもらえるようになっていた。
 私からしてみたら、彼が何をしているのかなんて分からない。
 だが、屋敷の中での不穏な空気と噂だけは、その頃からじわじわと広がっていたのではないかと思える。
 その頃からだった。亮司が笑顔でも悲哀でもない、何ともいえない寂しそうな顔をするようになったのは……。
「何か……ありましたか?」
 会議の後、屋敷へと戻る道すがら。私がおずおずと問いかけると、亮司は力なく笑うだけで何も言ってはくれなかった。
 所詮そこまでなのだ。
 私は運転手。彼を彼の望む場所に運ぶのが役割であって、彼の相談役にはなれない。
 そもそも、そう言う立場になりたいと願うことすら間違っているのだろうか。
「秋野……」
 消え入りそうな声で彼は私の名を呼んだ。
「何でしょうか?」
「この街を一望できる所へ連れて行ってくれ」
「畏まりました」
 こんな要望は初めてだった。
 今までの彼の言動や行動からして、はっきりとした場所や物事の指定をする人間だったはず。
 ここまで漠然と行き先を指定したことなど無かった。

 しばらく車を走らせ、展望台へ辿りつき、私は振動が無いように車を止める。
「夜風は体に毒です。出来ればこのまま――」
「構わない」
 亮司は自らドアを開け、車を降りる。次いで私もそれを追いかけた。
「結構な高さがあるんだな」
 亮司は変わらぬ表情のまま、展望台の突端ギリギリまで歩いていった。
 このまま投身自殺でもするのではないかという嫌な予感が胸のうちをかすめたが、先程の自分の感情も同時に沸き起こり、私はその場で踏みとどまってしまった。
 所詮私は運転手。彼の思いを汲んでやれるかというと、そうではない。彼の要望に応えられるのは彼が行き先を告げたときだけ。
 彼の、相談役には、
「ダメですっ!!」
 気付いたら彼のスーツの袖口を掴んでいた。
「これ以上そちらに行ってはいけません。崖になってますから」
「僕が死んだら、どうなる?」
 口元に淡い笑みを残したまま問いかける亮司に、何故そんな事を訊くのかと涙が零れそうになった。
「僕が死ねばこの分家も終わりだ。跡継ぎが居なくなるからな」
 自然と私の手に力が篭る。
 ピンと皺一つ無く伸ばされていたスーツは、私のせいで袖口が乱れてしまっているのだろう。
「親父は僕が十二の頃にこの計画を思いついた」
 計画?
「それによって、分家の何人かがそれに賛同。その話を、今日の会議で再確認させられてきた」
「どんな計画なのです……?」
 それを訊く事すら恐れ多い。
「僕を駒に、分家は宗家になる。昔からこういう話よくあるだろう? 娘だけじゃ血は絶える。息子だけでも血は絶える。そういう事だ」
 つまり、分家の方々は、旦那様が勤めている企業の乗っ取りを行おうとしている。と。そう言うことだろうか。
 まだ良く分からない。
 眉根を寄せてうつむく私に、亮司は肩の力を抜いた。
「だから死んでやろうかと思ったんだが」
 一歩、こちらに歩み寄り。私の肩に手を置く。私の方が少し身長が高い分、亮司は若干上目遣いでニヤリと笑った。
「やめた。お前をこんな顔にさせるくらいならな」
 車に向け歩き出した亮司は、唖然としている私に向け、心のある苦笑を投げかける。
「いい加減離してくれ。それとも手でも繋ぎたいのか?」
 未だに握りこんだままの袖口を見、私は慌ててそれを離した。
 車に向かう彼を追い抜き、ドアを開ける。慣れた仕草で、亮司は黒皮のシートに収まった。
 次いで運転席に乗り込み、エンジンを始動させる。
「秋野」
「何でしょう」
「お前、僕の専属の秘書になれ」
「……はい?」
 意味がわからなかった。しかし、一つだけ分かった事がある。
「お前の話をもっと聞きたい。……それに僕の話も聞いて欲しいからな」
 彼は、友人を欲しがっていたのだ。
「秘書、というのは柄に合いませんね……」
「なら、何がいいんだ?」
 少し拗ねた様に訊き返す亮司に、互いに自然と笑みがこぼれる。
「そうですね。運転手兼、執事で」


 こうして私は、彼と共に御嬢様と出会うことになる。



ep.0 side−K:革命と覚醒。


「宗家の代表が死んだ……?」
 突然の訃報に、青い短髪をした男は立ち上がった。
「そーけ?」
 隣で首を傾げた自分の息子を手で制し、暗黙の内に向こうに行かせた。

 この国で指折りの実力を持つ巨大企業の宗家……、現在の社長に当たる人物の突然の急死。
 宗家の財産は全てその血筋の者に配分される。
 分家に当たる何人もの家主たちは、如何にしてこの機会を自分の物にしようかと画策していた。
 この男、春日健斗もその一人である。
 大型の敵に対して、小型の我々が太刀打ちできる訳が無い。そう判断した事で、彼のとるべき道はすでに決まっていた。
「後家は何人集められる?」
 電話に向けて問いかけると、返答はいまいちぱっとしない。
「今、宗家を取り締まっているのは誰だ? 遺産は誰に動く?」
 返答に詰まる。
 彼もまた今後のことを予知して、絶望し始めた。
「分家はまた分家……。本家に成り代わることなど出来ないというのか?」
 何かしらの返答。
「それならば徒党を組んで、逆に飲み込んでしまえばいいのではないか?」
 もう一度。先程と同じ返答。
 彼の顔には明らかな絶望が浮かんでいた。電話を切り、頭を抱えて座り込む。
「宗家の実子は双子の娘が二人。直接の相続権は無いはずだが……。所詮本家との血族が一番近いところに甘い蜜が行くというのか」
 いつの間にか彼の側に戻ってきていた自分の息子を見、彼の目は細められた。
 自分に出来ない事を、後の世に生きる者に託す。
 それこそ、いつかの悲願達成のために。
「どうしたの? お父さん」
 彼は不思議と先程までの絶望が感じられなくなっていた。
 この息子ならば、我々の悲願を達成できるかもしれない。

 この息子を『使えば』。我々は本家になれるかもしれない。

「いいか? これから私の言うことをよく聞くんだ。……亮司」

 首を傾げる。僕はその時の父の顔を、一生忘れないだろう。不気味に微笑んでこう言うんだ。

「お前は、宗家の娘を、手篭めにしろ」





「……あぁ、叔父さん。お元気ですか。僕です。春日の亮司です」
 青い髪を背中に届くくらいまで伸ばした青年は、自由に散っていた髪をうなじの辺りで纏め、ゴムをとめつつ電話をしていた。
 肩と耳元で器用に受話器を支え、電話に出た相手に向け口を開く。
「今宗家を束ねてらっしゃるそうで。何よりです。宗家代表逝去から十年ですか。早いですね」
 束ね終わった髪を後ろに流し、掛けておいたスーツを手に取る。一番庶民的なランクのものを選ばせておいた物だ。
 それを羽織り、机の上に置いてあった眼鏡をかけ、ゆっくりと背もたれの深い椅子に腰掛けた。
「……それで。僕に用事とは何ですか? 春日家の代表として、対応出来うる事であれば良いのですがね」
 電話先の男が驚愕したように声を荒げた。
 亮司は苦笑交じりに口元を歪める。
「元代表ですか?」
 自分の視線の先を見る。
 先程乾杯したばかりのワインが一つ。グラスは二つ。
 自分が飲んだ方と、相手が飲んだ方。双方共に半分以上ワインが残っている。
 ただ違うのは、相手が飲んだ方のワインには、そのワインの色と酷似した液体が混ざっている事だろうか。
「親父なら……そこで死んでますよ。なぁに、そう驚くことは無いでしょう?」
 亮司は小さく嗤いながら眼鏡をクイと押し上げる。
「仕事に……疲れたんですよ」
 物言わぬ死体となった父親を右手で指差し、ピンと右上に跳ねさせる。
 それを見て取ったか、彼の部下がその死体を黙々と運び出した。長身の。どこか物憂げな美女だった。
「それで。僕に用事とは何です? 死体よりかは行動力ありますよ?」
 皮肉を織り交ぜつつ言ってやると、電話先の男は苦虫を噛み潰したような声で返事を述べた。
「えぇ。それで。僕に宗家に出向けと?」
 肯定が返ってくる。
「分かりました……。但し、その件に関与するメリットはあるんでしょうね? 態々末席の分家にまで声を掛けたくらいですから」
 亮司は返答を聞きながらも薄い笑みを崩さなかった。
 くだらない計画だ。
 こいつらの考え方はいつも通り一遍等。何も変わらないし変えられない。
 唯一特化して成長しているのは、
「人の殺し方だけは、上手いですねぇ」
 怒りに触れたか、電話先の男の声が荒げられそうになったのを聞き、亮司はすかさず口を開く。
「いやいや、そう言う意味ではありませんよ。僕に『僕』を殺せって言ってるんでしょう? 違う役割を演じなくてはならないのですからね」
 次第に収束する相手の怒気に、内心でせせら笑う。

 この世界はつまらない。

 相手を騙し、殺し、奪っていく事で成り立っている。
 それならば……、
「お引き受けしましょう。まずやるのは、家庭教師ですか?」
 薄く微笑みつつ電話を切った。
 当たり前のように暗闇に向かって声をかける。
「お仕事だ。お前も来い。秋野」
「はい」
 先程彼の父親の死体を運んでいた長身の美女が、そのブロンドの髪を闇に輝かせながら現れる。
「さて、荒れるぞ? 喜劇と悲劇の始まりだ」
 言葉に呼応するかのように、大きな稲光と共に雨が降り始めた。

 雨は一晩中降り続けた。


 これが、僕が御嬢様と出会うきっかけ。



ep.0 side−U:査問会という名の死刑宣告


 自分の部下が第二線級の戦場でへまをやらかしたらしい。敵と判断し誤射した相手は、自分の上司の息子だったそうだ。
 非はどちらに有るのかと問い質されると、どちらにも有るのだ。
 戦場だからといって浮き足立っていた自分の部下然り。
 突出した威力偵察の帰り道に『運悪く』味方部隊と遭遇したにもかかわらず、保身のために識別信号を送らなかった上司の息子然り。

 相手が上司の息子だからといって、俺はそれを庇うつもりは無い。
 一部の……出世欲の強いやつらは自分の部下を見殺しにしてでも、上司の息子を正当化するだろう。
 しかしここは戦場だ。
 もし遭遇したのが敵国の兵士だったのなら、撃たなければ自分がやられていたかもしれない。
 そう考えると、やはり自分の部下は正しい判断をした。と俺は考える。
 しかし、先ほども述べた通り何かしらの判断をする方法も有っただろう。
 よって俺の部下も悪い。

 以上のことをそのまま軍の上層部が見守る会議で述べたところ、俺に下された判決は現在の地位の剥奪と、懲罰大隊への異動だった。

 異動当日。
 向かう先は死地ですらないと知っている元部下達は、俺の出立を見送りに来てくれていた。
 だがこれは俺と、俺に関わった人への懲罰。
 自分には直接関わりの無い罪を着せられ、手には手錠を嵌められ、何をするでもなく、ただ引かれるままに歩く俺を元部下達はただ見守ることしか出来ないのだ。
「小隊長!」
 突然声をかけられ、護衛を振り切って一人の男が駆け寄ってくる。
「私の為に、申し訳ありません」
 その精悍な顔は涙に崩れ、鼻水がみっともなく垂れ流されている。
 嗚咽だけを堪えるかのように、歯だけはしっかりと食いしばっていた。
「なに、お前のせいじゃない。悪いのはお前を嵌めようとした上層――」
 全てを言い切る前に、不穏な空気を感じ取った先導役が俺の腹を蹴り飛ばした。
「小隊長!」
 男は俺をかばうように覆いかぶさり、先導役を睨み付けた。
「連れて行くなら私を連れて行け! 誤射したのは私だ!!」
「黙れ馬鹿野郎!! お前の罪は俺の罪だ。……分かったら離れろ。これ以上この件に関わるな」
 覆いかぶさった男をわざと冷たく押しのけ、俺は先導役に従って歩き始める。
 その手に、先程渡された小さな鍵を持って。

 懲罰対象は、すでに死ににいくのだから。
 死ぬくらいまで痛めつけるに越したことは無い。

 輸送車両に押し込められ、その中で四人の男に散々に殴られ、蹴られた。
 奥歯が折れ、肋骨が二、三本いかれているように思える。折れていなくても罅は入っているのではないか。
 ご丁寧に刃物まで用意していた者も居た。熱するなり切るなり、用途は多岐に渡るが好きに使ってくれ。
 散々に痛めつけ、傷つけてから満足したかのように荷台から降りていく男達。
 俺はその隙に先程の鍵で手錠を外し、ナイフを持っていた男を後ろから殴り飛ばして昏倒させ、その凶器を奪い取った。


 後のことはもう、記憶にはあまり残っていない。
 夢中で林に逃げ込み町に辿り着き、このまま空腹と失血で命を落とすものだと思っていた。
 路地裏に倒れるように座り、死を覚悟した。何時間たっただろう。段々と失っていく感覚の中で柔らかな声が響いた。
「あなた、大丈夫かしら?」
 ふと視線を上げると、青紫色の瞳が視界に入った。吸い込まれるような美しさに、思わず溜息が漏れる。
 淡い紫から段々と青になっていく不思議な光沢を持った髪が印象的な少女だった。
「御嬢様、そのような者に関わると余計な手間ばかりがかかりますよ?」
 その後ろに控えているスーツ姿の男が神経質そうに眼鏡を上げた。
「でも亮司。この人辛そう……」
 亮司と呼ばれた男は胸元に掛かっていた自らの髪を首を振って後ろに流し、小さく溜息をついた。
「そんな人間、この国に五万とおりますよ。一人一人相手にしていたら、何年掛かっても終わりません」
 そんなやり取りを見ながらただ、声が出ない。「助けてくれ」という一言すら出てこない。
「でも!」
「御嬢様……。時間です。行きますよ?」
 それ以上のやり取りを拒否するかのように、細身の男は俺の横をすり抜けて歩いていく。
 その後ろをこの世のものとは思えないほど美しい女性がついていっているのが見えた。
 少し戸惑ってから、御嬢様と呼ばれた少女は彼らについて歩いていこうとしている。
 せっかくのチャンスが、逃げていく。

「やっぱり気になる」

 向こうから駆け戻ってくる少女に、安堵と共に意識が薄れる。
 向こうで青い髪の男、亮司が側にいた女性に何事か囁いているのが見えた。
 そこで、俺の意識は、途絶えた。


 これが、私と御嬢様との出会いでした。



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